こんにちは、はるぼぼ(@harubobo_nikki)です。
2014年8月27日。それは、私たち2人にとって最も思い出深い日です。旅先の長野で出会った後一緒に一日を過ごした日、そして2人が恋に落ちた日だからです。
ダ-リンとはその前日に長野の善光寺近くのゲストハウスで出会いました。私は一人旅をよくするほうで、以前は海外旅行ばかりしていたのですが、当時は国内も旅するようになっていました。
運命の朝
その日、なりゆきでダーリンと善光寺の朝のお勤めに行くことになりました。ダ-リンは当時、ギムナジウム(日本でいう高校に近い)を卒業したばかりの19歳。しかも、一時的にワ-ホリで日本に滞在しているドイツ人。
一方、私当時27歳。日本で暮らす日本人です。こんな2人がお互いを恋愛対象として意識することはないのが普通でしょう。私たちもそうでした。
私は「外国人と一緒に日本を観光するのも面白そうだし、こんなにカワイイ男の子と過ごせるなんて儲けもの!」ぐらいの感覚で、はっきりと異性として見ていたわけではありませんでした。
早朝5時ごろに善光寺のお勤めに行き、その後2人でスタバに入りました。あまりきれいな顔立ちの外国人男性に免疫がなかった私は、なんだか気恥ずかしくてダ-リンの顔を直視できなかったのを覚えています。
松本城観光
もともとダ-リンはこの日新宿に向かう予定だったのですが、予定を変更し、私と松本に行くことに。
まずは松本城を観光。ダ-リンは初めて見る日本の「お城」にとっても感動していて、興味津々。華やかな西洋建築よりも日本の渋い建築のほうが好きらしいのですです。
英語で無料でガイドしてくれるおじさまがいたので。ガイドしてもらうことに。ガイドのおじさまが秀吉に関する説明をし始めたら、ダ-リンが「秀吉って足軽だったんだよね」と言うではないですか。なんだかシブくてマニアックな19歳です。
安曇野をサイクリング
その後ランチをして、安曇野に移動。今思うと一日で結構色んなところに行きました。
安曇野でレンタサイクルを借りたとき、レンタサイクル屋のお兄さんに「ご夫婦」と呼ばれ、ダ-リンにも「夫婦って言われたよー。」なんて話していました。実はそのとき「本当に夫婦になってもおかしくないな」と思っていたのです。
ダ-リンは「君と出会って、日本を第2の故郷のように感じられる気がしてきた」と話してくれました。安曇野は、特別な観光スポットがあるわけではありませんが、田んぼの間を走るだけで気持ちよくて、楽しくて・・・
自転車でダーリンが先を走り私が後に着いて行っていたので、ダ-リンが時々後ろを振り返って私の様子を確認します。
そういうダーリンの姿を見ていて思っていたのは、「この人のこと好きになったらまずいなぁ。」でも、同時にこうも感じていました。「でも、もう遅いかも・・・」
その日の夜
また松本に戻ってディナーをしていたときのことです。ダーリンが、「僕のような男に言われても嬉しくないかもしれないけど、You are so beautiful」。驚きました・・・二重の意味で。
まずダ-リンが私のことを”beautiful”だなんて思うとは考えてもみませんでした。正直、今でも謎なのですがラッキーですね。そしてダ-リンが自分に自信がないような発言をしたことにもびっくりしました。「そんなにきれいな顔してるのに何で!?」って。
そしてこうも言われました。「君といるととっても楽しい。I like you.」「アイライクユ-」というのは微妙な表現で、「人として好き」と言っているとも受け止められるし、「異性として好き」とも受け止められます。
私はダーリンがどっちの意味で言っているのかよくわからなかったし、欧米人は「きれいだ」とか「好き」とか、わりと気軽に言うのかなぁと思っていました。(偏見ですね・・・)
でも今思えば、ドイツ人の気質やダーリンの性格からしても、その言葉にはすでに特別な意味がこもっていたのは間違いありません。(関連:「ドイツ人男性に”I like you”って言われたら、異性として好きってこと?」)
別れ際
その日、私は松本のゲストハウスに泊まり、ダ-リンは善光寺近くの同じゲストハウスに泊まったので、松本駅でお別れしました。
駅の改札前で別れるとき、ハグというか、背中にちょっと腕をまわすくらいの、「ハグ」と呼んでいいかどうかもわからないくらいの微妙なアクション。ぎこちなかったですし、ちょっとよそよそしくも見えなくもありませんでした。
それでも私は、2人の心が通じ合っていること、お互いにとってすでに特別な存在になっているのを感じていました。そして、再び会わずにはいられないことも。
おわりに
私は、ダーリンに会って初めて「恋に落ちる」という言葉の意味を知りました。冷静に、合理的に考えて好きになるべき相手ではないと思っていても、そうなってしまう。理屈ではなく「落ちて」しまうのです。
今振り返っても魔法にかかったかのような一日でした。今から一年半前のこと。私たちにとって宝物のような出来事です。