年収が会社員時代の半分でも前より「リッチ」な気分でいられる理由

  • 2016年8月15日
  • 2016年8月16日
  • my life

こんにちは、はるぼぼ(@harubobo_nikki)です。

最近、「リッチな気分でいられるかどうかって、実は年収とは関係がないのかも」と思うようになりました。今日はその理由をご紹介したいと思います。

会社員時代より収入が減った今のほうが気分は「リッチ」

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突然ですが、最近の私はなかなかリッチな気分になりつつあります。「リッチな気分」というのは「今現在生活していくために十分なお金がある」、そして「この先もお金に困ることはないだろう」という感覚のことです。

でも、現在の私の収入は相対的に見れば決して多くはありません。これを読んでくださっているあなたが日本で会社員として働いているとしたら、きっとあなたのほうが収入は多いはずです。

実際、日本で会社員をしていたときのほうが今よりもずっと収入は多かったです。フリーライターとして本格的に活動するようになってまだ半年あまりなので、今の年収を算出するのは難しいですが、このままいくと会社員時代の半分かそれ以下というところでしょうか。

当時勤めていた会社の同期は「安月給」と文句を言っていましたし、私も大してもらっている感覚はありませんでしたが、何だかんだいっても一部上場企業の総合職。同年齢の女性平均よりは多かったはずです。

会社を辞めた後、ゼロから収入を作ってきたから

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収入自体は減ったのに気分はリッチでいられる理由のひとつが、いったん収入がゼロになったところからここまで稼ぎを自分で作ってきたからです。会社員であれば毎月決まった給与が保証されるうえ、ボーナスも出ます。でも辞めてしまえば収入はゼロになります。

6年勤めた会社を退職したとき、私の収入はほぼゼロになりました。ライターの下積みを始めていたので、正確にはゼロではありませんでしたが、退職してからドイツにたどり着くまでの約5ヵ月間アジア横断の旅をしていたため、ライターの仕事よりも、旅を楽しむことを優先していました。

時間が空いたときにやるというスタンスでしたし、当時の仕事の単価はびっくりするほど低かったので、しばらくは月の収入が1万円を超えることはありませんでした

ドイツに来てしばらくして、2016年に入ってからはより本格的にライター業をするようになり、収入は増えましたが、最初は執筆速度も遅かったので月の収入は5万円になるかならないか。

「数万円」という単位になったことに対しては大きな進歩を感じたものの、日々遣う金額のほうが大きかったので、お金に対する不安はやはりありました

しかし最近では、会社員時代より収入が少ないとはいえ、月々遣う金額よりも稼ぐ金額のほうが大きくなってきているのです。「必要十分な収入を何もないところから作ってきた」という事実には、やはりそれなりの達成感がありますね。

心豊かに生活するためにたくさんのお金は必要ないから

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「会社員時代に比べ収入が半分になった」と言ったら、「それじゃ生活苦しいんじゃないの」と思われるかもしれませんが、前述のとおり実際はそうでもありません。

ダーリンと二人でつましく暮らしていくための一人分の生活費には十分です。それどころか最近では遣う金額より稼ぐ金額のほうが大きくなっていて自分でも驚くくらいです。

むしろ、今となっては日本にいたころなぜあんなにたくさんのお金が必要だったのかわかりません。家賃を払っても手元に残るお金が15万円くらいあって、さらにボーナスも別に出ていたのに、なぜ「私には十分なお金がある」と思えなかったのか、不思議でならないのです。

でも今は、心豊かに暮らしていくためにそんなにたくさんのお金は必要ないことがわかっています。今の私は新しい服やバッグなんてあまり欲しいと思いません。旅は私の人生における大切なテーマの一つなので、普段はダーリンと一緒にシンプルな生活を送り、時々旅行ができればじゅうぶん幸せです。

自分にとって何が必要(ダーリンとの楽しい時間や旅の経験)で、何が必要でないか(高価な服やバッグ)がわかっているので、本当に大切なことに集中的にお金を遣うことができるのです。

もちろんそれは現時点での話であって、将来的には子どもも欲しいし、和洋をモダンに融合させたオシャレな家に住むという目標もあるので、今後はもっとお金が必要になるでしょう。さすがに仙人のような暮らしは私にはできません…

だから今の水準で満足というわけではなく、収入はさらに伸ばしていくつもりですが、「足るを知る」ことができるようになった効果は大きいです。

自分のアウトプット(成果)がお金になっている実感があるから

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会社員の給与は、しばしば何の対価なのかがはっきりしないことがあります。特に日本企業の若手社員の場合はその傾向が強いですね。私自身も、「ポテンシャル採用」というありがたい日本社会の慣例により、具体的な成果を挙げずとも報酬をもらうことができていました。

会社にもよるでしょうし、営業など具体的に数値成果が目に見える仕事の場合は別かもしれませんが、新入社員への給与は、成果に対する報酬というよりは「将来に対する期待」という意味合いのほうが強いと思います。

でもフリーランスになったらアウトプット(成果)を出していないのに報酬がもらえるなんてことはありえません。トラベルライターとして活動している私の場合、「クライアント(寄稿している旅行サイト)に満足してもらえる水準の記事を書く」ことが成果になります。

もちろんその先には読者という存在があって、読者に読んでもらえる、「読んでよかった」と思ってもらえる記事を書くことが前提ですが、寄稿という形をとっている限り、私の記事を採用するかどうかの判断はクライアント(旅行サイト)ということになります。

フリーライターとして仕事をしていると、「この記事を書いていくら稼いだ」ということが非常に明快です。反面、会社員時代は「この仕事でいくら稼いだ」という感覚はゼロでした。

だから会社員が悪いという話ではありませんが、「具体的なアウトプット(成果)がお金になっている実感を得ることはとても貴重な経験だと感じています。

おわりに

お金を遣う分野、遣わない分野にメリハリをつけながら、アウトプットを向上することによって収入を増やしてきたという事実が現在のリッチな感覚につながっているのだと思います。

(関連:「お金の遣い方にもポリシーを!お金の遣い方は生き方そのもの」)

一度収入がゼロになるという経験をしてしまえば、必要十分な収入を得られるということ自体がすごいことのように感じられるようになります!特に最近はブログを通じてありがたい仕事のオファーをいただくこともあり、お金が向こうから飛び込んできているかのようなイメージすらあったりします。

結局、「リッチ」な気分でいられるかどうかは稼ぐ金額そのものよりも、稼ぎ方と遣い方に左右されるのではないかという気がしています。

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