しばらく遠距離恋愛、ダーリンと離れてみてわかった3つのこと

こんにちは、はるぼぼ(@harubobo_nikki)です。ダーリンと離れて10日あまりが経ちました。なんだかもうずいぶん長く離れているような気がするのに、まだ10日だなんて驚きです。

今日は、ダーリンと離れることになってわかった3つのことをお話ししたいと思います。

ダーリンの成長ぶり

今回実感したのはダーリンの成長ぶり。私と離れる前、ダーリンは一切涙を見せませんでした。一年前のダーリンだったら私の前で涙を見せていたのではないかと思います。

私がいなくなった後、私が残した抹茶プリンを食べながら一人涙したかもしれません。それは知りませんが、私が「ダーリンのことが心配」と言ったら、笑顔で「僕は心配のプロだよ。僕が2人分心配してるんだから、ぼぼは何も心配しなくていいよ」と言い(ダーリンは心配性なんです)、「美味しいものが食べられてあったかいアジアに行けるんだからいいじゃない」と私を励まそうとします。

私がいない間の自分については、「ぼぼがいると幸せのあまり忘れちゃうけど、ぼぼがいないほうが、目標を叶えるために頑張らないといけないことを実感して勉強に集中できるかも」と言うのです。

自分自身に言い聞かせる意味合いもあったでしょうが、ダーリンがそんなふうに物事のいい面を見ようとするようになっていたとは。

私たちが出会って2年あまりのあいだに色んなことがあって、私がドイツに移住してからもやっぱり色んなことがあって、出会った当初は傷つきやすい少年の面影を残していたダーリンが、驚くほどたくましく成長していることを実感しました。


ダーリンとの対話不足

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私たち2人はよく「仲が良い」と言われます。そして、私たち自身もそう思っています。私たちは、それぞれがお互いにとってなくてはならない存在だということをわかっています。

でも、今回ダーリンと離れることになって、ふと「私は十分ダーリンと対話できていたのだろうか」と思いました。もちろん会話はしていますが、一緒に暮らして毎日顔を合わせていると、「今日のご飯何にしよう」とか、日常生活を営んでいくための話題中心になりがちです。

私がブログで伝えているようなメッセージ、私の考え方や信念を、最も身近で最も大切な存在であるダーリンには実はあまり伝えていないことに気づいたのです。

もちろん、ダーリンが将来に対して弱気な発言をしたときなどには、自分の未来を信じることの大切さなどを説いてはいますが、私が大切にしている考えのなかで、ダーリンに伝えていないことはまだまだたくさんある気がします。

これまでダーリンにメッセージしてこなかったのは、「英語でそれらを伝えるのが面倒」という感覚があったこと、あえてそんな話を切り出すきっかけがなったことが理由だと思います。英語で自分の言いたいことを100パーセント表現するのは困難ですが、やっぱり「伝える」ことを面倒がってはいけない。きっかけなんかなくても、どんどん伝えればいい。そう思いました。

私が何年もかけて身に付けてきた人生のレッスンを、まだ20歳そこそこのダーリンが今から身に付ければ、きっとダーリンの、そして私たちの将来に大きく貢献してくれることでしょう。

「辛い」「苦しい」そんな感情も愛おしい

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大切な人と離れることは誰にとっても辛いです。でも、「辛い」「苦しい」…そういった感情は「生きている」実感を与えてくれます。寂しさ、辛さ、苦しさ、切なさといった感情はネガティブなものにとらえられがちですが、そんな感情があるからこそ、喜びや幸せといった感情がひときわ輝きを増すのです。

寂しい、辛い、苦しい、そういった、その瞬間は手放したくなるような感情であっても、もしそんな感情がなかったとしたら、私たちは泣きたくなるほどの幸福感を感じられるでしょうか。

ダーリンと離れることは痛みを伴うものですが、寂しい、苦しい、嬉しい、幸せ…それらすべての感情をいきいきと感じられることをとてもありがたく思います。せっかく生きているからには、無感動ではなく、しっかりと心を動かして生きていきたいですね。

おわりに

ダーリンと離れて寂しくないといえばやはり嘘になりますが、どれだけ離れていても、心はそばにあるということを改めて実感しています。

今回、ダーリンと離れている4ヵ月は、「それぞれが相手の存在なしに充実した日々を送る」という「宿題」のような気がしています。この宿題を終えたら、私たち2人はもっと高い次元でつながれるはず。

長い目で見れば、きっと私たち2人の関係をより良くしてくれる時間なのだと思っています。