現在はドイツ人ダーリンと幸せに暮らしている私ですが、過去には人生の「どん底」とも言える結婚生活を経験したことがありました。
その最中にいるあいだは苦しかったですが、あの経験があったからこそ、かけがえのない人生の学びを得ることができました。そして、ダーリンに出会うことができたのも、そのおかげだと思っています。
そこで、どんな風に考えて行動した結果、最高のパートナーであるダーリンに出会えたのかをお話したいと思います。
苦しい日々からの脱出
当初は離婚に向けての話し合いを進めようとしていたものの、何しろ相手はモラハラ男。自分に都合の悪いことがあるとすぐ恫喝してきたりするので、まともな話し合いにはなりません。
結局このままでは自分の心身が危ないと感じ、横浜に住む弟のマンションに逃げ、2週間ほど居候をさせてもらいました。
弟の部屋で寝た最初の夜、身の危険を感じることなく眠りにつける幸せを実感したのは今も忘れません。そしてその後アパートを見つけ、また一人暮らしを始めたのです。
相手が相手なので、別れるときには調停や裁判になる可能性も覚悟していましたが、意外にも当時の職場に記入済みの離婚届が送られてきてあっさりと別れることができました。離婚届が受理されたのを確認したときの安堵感は相当なもので、母にも喜びのメールを送ったことを覚えています。
「婚活」スタート?
晴れて独身に戻った私は、「2年以内に再婚する」と周りに宣言しました。「2年」という数字に特に意味があったわけではありませんが、辛い結婚生活の反動で、「早く平穏な幸せを手に入れたい!」という気持ちが強かったのです。
普通の生活を送っていてはなかなか出会いがないと思った私は、いわゆる「お見合いパーティー」のようなところに行ったり、友達が仲間を集めて飲み会をするときは呼んでもらったり しました。
でも、2人で食事に行ったりするような相手は数人できたものの、結局ピンとくる相手に出会うことはありませんでした。
友達が主催の飲み会は別として、婚活パーティーのようなお膳立てされた出会いの場というのは、参加者がお互い異性に選び選ばれることを意識し、うわべを飾りがちです。
「お互いに内面をさらけ出すことのないそんな環境では、人生のパートナーと呼べるような相手を見つけるのは難しいのでは」と思い、そういった場に虚しさを覚えるようになっていったのです。
あえて孤独と向き合った時期
その後、「もっと世界を見てみたい」と世界一周を計画しはじめたこともあり、「2年以内に結婚」という当初の目標はもうどうでもよくなっていました。期限を区切ることに意味がないと感じるようになったのです。(その後ダーリンに出会ってドイツに移住することになったので、世界一周はしませんでしたが)
そのかわり、資格をとったり、当時の自分に役立ちそうな本を読み漁ったりと、人と会うよりも自分自身と向き合う時間が増えました。
とはいっても、「自分にぴったりのパートナー」に出会うことを諦めたわけではありませんでした。「世界一周の旅に出たら旅先で出会いがあるかもしれないし、いずれその時が来たら素敵なパートナーとの出会いが訪れるだろう」と思っていたのです。
自分と向き合う孤独な時間をもつことは、のちに実を結ぶと考え、その期間を「人生の修行の時間」ととらえていました。
時に「本当にぴったりのパートナーに出会えるのだろうか…」という不安がよぎることもありましたが、「絶対に出会える!」と信じて、自分が理想のパートナーと一緒にいる姿をイメー ジするようにしていました。
そして、「その時」が訪れた
ダーリンとの出会いは、こうして私がパートナーを探すことをやめたときにやってきたのです。ダーリンとは2014年8月、ふらっと一人旅で出かけた長野のホステルで出会いました。
出会ってすぐにお互いの気持ちがシンクロするような感覚を覚え、私たちは急速に関係を深めていったのです。
長野に出かけると決めたのもいくつかの偶然が重なっての出来事でしたし、そのホステルに泊まる日が一日でもずれていたら出会うことはありませんでした。私は本来リアリストなので、「運命」というものに懐疑的でしたが、ダーリンとの出会いは運命以外の何物でもないと思っています。
「最高のパートナーに出会いたい!」と思いながらもいっこうに出会えなくて焦っている方がいたら、「いつか必ず出会える」と信じてください。その相手に巡り合うまでに私のように紆余曲折があったり、思いのほか時間がかかったりすることがあるかもしれません。
でも、だからといって諦めてしまったり、パートナー選びを妥協してしまっては本当にもったいない!パートナーは自分自身の次に長く人生を共に過ごす相手です。
「自分にぴったりのパートナーにいつか出会える」と信じ、自分自身をもっとハッピーにできるよう前に進み続けていれば、必ず「その時」はやってくると思うのです。