こんなに違う!性善説の日本と性悪説のドイツ

こんにちは、はるぼぼ(@harubobo_nikki)です。前回の記事『ドイツに住む私が一時帰国で「日本に帰ってきた!」と実感する17の瞬間』で、日本の社会が性善説をベースに回っているとお伝えしました。

ドイツ人のダーリンと私が長い時間をかけて行っている結婚手続きのなかでも、日本の性善説を実感する場面があったのです。

とにかく疑ってかかる、性悪説のドイツ

ドイツに限ったことではありませんが、日本の外に出ると、いつなんどきも、ルールを守らない人がいること、不正を働く人が出てくることを想定する、性悪説に基づいて社会が回っているのが普通です。

もちろん、日本だってルールを守らない人や不正を働く人が出てくることを想定していないわけではありませんが、そのレベルはドイツの比ではありません。

今回、ダーリンとの結婚手続きにおいては、以下のポイントがあります。

1.私の日本における過去の離婚をドイツの裁判所が「承認」する → 私に結婚する資格があるのかどうか疑っている

2.私の戸籍謄本など、ドイツに提出する日本からの書類にはすべてアポスティーユ(「これは正式な文書です」という外務省の認印)が必要 → 提出された書類が偽造かもしれないと疑っている

3.ドイツに提出する日本からの書類は、認定翻訳士に翻訳してもらわなければならない → 翻訳の際に不正や誤訳があるかもしれないと疑っている

あらゆるステップにおいて、不法行為等が生まれる可能性を想定し、それを未然に防ごうとしているわけです。

ドイツのように、「不正を働いてでもこの国に住みたい!」と思う人がたくさんいる国ではしかたのないことかもしれませんが、手続きをするほうは大変です。ドイツの裁判所で離婚の承認をしてもらうのに、10ヵ月かかりました・・・

拍子抜けするほど疑わない、性善説の日本

それに対して日本はというと・・・

1.ドイツから日本に提出する書類には、アポスティーユのようなものは不要

2.ドイツから日本に提出する書類の翻訳者に特に決まりはない(自分たちで翻訳してもいい

市役所に聞いて、これらの事実が判明したときは、「えっ、それでいいの!?」と驚きました。もちろん、仮にダーリンにドイツで離婚歴があったとしても、「離婚の承認」なんてものは必要ないはずです。

日本の行政では、「外国から提出される書類が偽造ではないか」とか、「誤って、あるいは故意に事実とは異なる翻訳をするのではないか」などということは、あまり想定していないようです。

この事実を知ったとき、「大丈夫か、日本!?」と思いましたが、これまでに大きな問題があればルールや運用を変えているはずなので、これでいいということは、この方法で大きな問題は生じていないということなのでしょう。平和です。

人口の多い経済大国なのに性善説なのが日本のスゴイところ

私が今までに行った国で、「ここは性善説っぽいな」と思った国はラオスです。しかし、ラオスは日本のように人口も経済規模も大きくありません。国土の大部分に手つかずの自然が残る内陸の小国です。

日本はGDP世界3位、人口10位の大国で、人口700万人に満たないラオスとはわけが違います。それなのに、ある意味で小さな発展途上国のような「ゆるさ」を維持していられるのは稀有なことです。

もちろん日本だって犯罪者もいれば、詐欺師もいます。でも全体として、大きく性悪説に傾くことなく社会が回っているのは、日本の最大の美点のひとつではないかと思います。

「脇が甘い」という指摘もあるかもしれませんが、裏を返せば「性善説でもやっていけている」ということ。それは、日本がほぼ単一民族の国であることと、他者との協調を重んじる社会であることと関係しているのでしょう。

おわりに

ドイツは個人主義の国、そして移民大国であることもあって、基本的に性悪説をベースに社会が回っています。そうしないと秩序が維持できないからでしょう。今回挙げた具体例は結婚手続きだけですが、行政の対応というのは社会の仕組みやムードを象徴していると思います。

ドイツで暮らしていると、もっと細かな部分でも性悪説を実感することがあって、性善説の国・日本から来た私は緊張や居心地の悪さを覚えることがあります。(しょうがないんですけどね)

今後日本もさらに国際化していくでしょうが、できることなら、なんでもかんでも疑ってかからずとも秩序を維持できる、日本らしさを失ってほしくないと思います。