以前、旅先で出会ったとある友人と「なぜ日本人の労働生産性は低いのか」という話になったことがあります。
その友人は、私より少し年上の日本人男性。彼が世界一周旅行中に、インドのゲストハウスで知り合いました。色々な国を見てきている人なので、私もそんな話題を振りたくなるんですよね。
そこで、世界的に「労働生産性が高い」と言われるドイツとの比較から、日本人の生産性が低い理由を解き明かしてみようと思います。
ドイツ人の生産性は日本人の1.5倍
「なぜ日本人の生産性は低いのか」という疑問とともに、ドイツの生産性(一人当たりGDP)が日本より高いこと例に挙げ、「付加価値のある商品を外国に高い値段で売るドイツと、内需の割合が大きい日本は単純に比較できないけれど」と話をしました。
日本の人口はおよそ1億2700万、一方のドイツは約8270万人と日本より3000万人ほど少ないので、GDPの総額でみれば日本がドイツを上回っています。しかし、一人当たりに換算してみると違う現実が見えてきます。
実は、日本人はドイツ人よりもずっと長く働いているのに、日本の一人当たりGDPはドイツよりも低いのです。ドイツの一人当たりGDPは40,952.42USドルで世界20位、日本の一人当たりGDPは、32,478.90USドルで世界26位です。(2015年:「世界経済のネタ帳」より)
そして、ドイツ人の平均年間実労時間は、1,368時間で世界38位、日本人の平均年間実労働時間は1,719時間で世界22位です。(出典:2015年統計 グローバルノート)
単純に一人当たりGDPだけを比較しても、ドイツ人の生産性は日本人を26パーセントほど上回っていますが、労働時間まで加味するとその差はさらに開きます。
日本人とドイツ人が同じ時間働いたものと仮定して、単純にいえば「ドイツ人の生産性は日本人よりも1.5倍高い」といえるのです。
日本人の生産性が低いのは「完璧」を求めるから?
いったい、世界的にも「勤勉」だといわれる日本人の生産性が低いのはなぜでしょうか。
日本人の生産性が低いのは、よく言われるように無駄な会議や根回しにかける時間や手間が多い、あるいは上司が職場に残っていると自分の仕事が終わっても帰りにくいなど、日本特有の事情はもちろんあるでしょう。でも本当にそれだけなのか、ずっと疑問に思っていました。
すると彼は「日本人は完璧を求めるからじゃないか」と言ったのです。「日本人は商品やサービスの品質や利便性をとことん向上させようと努力する。他の国の人がやらないレベルまでやるから、結果労働時間が長くなる」と。
それで全て説明がつくわけではありませんが、「一理ある!」と思いました。日本の商品は、ソースのフタが開けやすく、しかも使い終わったら捨てやすく工夫されているなど、商品本来の機能や役割以外のところまでユーザビリティー(消費者にとっての使いやすさ)を追求しています。
でも、他の国ではそんなことはしません。フタが多少開けにくかろうが、ソースなら「料理に味付けする」という本来の目的が果たせればそれでいいのです。
日本の商品やサービスは高品質なのに安い
一般に、日本の商品やサービスは品質のわりに安いです。安すぎると言っても過言ではありません。
BMWやベンツの車、RIMOWAのスーツケースなど、世界的に名の知れたドイツブランドの工業製品はとても高いです。でも、デザイン性や高級感のあるイメージから、高くても売れるんですね。
ドイツでは、生鮮食品やコスメなどは別として、工業製品は軒並み日本よりも値段が高いです。ドイツに暮らしていると「良い製品は値段が高くて当たり前だ」という意識が浸透しているように感じます。ドイツ人はプライベートの時間をとても大切にするため、労働環境には敏感で、他人の労働環境を守ることにも理解を示すからでしょう。
ところが日本では、「いいものを安く」が求められます。何万円もする高級クリーム(化粧品)のように、戦略的に高い値段を付けているような商品は別として、製造コストが高いからといって、そのコストを単純に商品やサービスの値段に転嫁することはやすやすと受け入れられず、最大限の企業努力を要求されます。
日本企業は、「もっといいものを、もっと安く、もっと便利に」と、身を削ってでも努力します。わずかの差のためにでも企業努力を続けるため、それが「長時間労働のわりに収益が上がらない」という構造の一因になっているのかもしれません。
クロネコヤマトの受入量抑制検討に見る日本の危うさ
最近、宅配サービス大手のクロネコヤマト(ヤマト運輸)が、労働環境改善のため、物流の受入量の抑制を検討するというニュースが流れました。ネット通販、特にAmazonの荷物が激増し、人手不足になって現場が疲弊。このままでは正常な労働環境を守れないというのです。
私は個人的に、クロネコヤマトは世界最高の宅配サービス業者だと思っています。だからこそ、このニュースにはある種とても日本的なものを感じて悲しくなりました。
「宅配サービスの現場がそこまで追い込まれなければならないなんて、日本人のサービスや利便性へのニーズは行き過ぎているのではないか」と。
世界に「そこまでするか!?」と思わせるほど、細かなところにまで工夫を凝らす日本の商品やサービスは、日本の強みです。
でも、私たちが享受している利便性や値段の安さが、その商品やサービスを支える人たちが、身を削って必死で働かなければならないほど大切なことなのか、考えるときがきているように思います。
本当に賢い消費者は正当なコストを負担する人
以前は私も「より便利に、より安くなることはいいことだ」と思っていましたが、ドイツの社会を見て「みんなが人間らしく働けるよう、消費者もある程度の不便や負担は受け入れるべきではないか」と思うようになりました。(逆にドイツはちょっと不便すぎるので、日本とドイツを足して2で割るとちょうどいいと思うのですが・・・)
本当に注文した翌日に商品が届く必要があるのか?
良いモノが安いのは嬉しいですが、その安さの裏で犠牲になっている人はいないのか?
それを考えれば、「あったら便利だな」くらいの絶対に必要でないサービスは削るか有料制にしたり、正当な人件費や製造コストは商品やサービスの値段に転嫁したりして、品質・サービスと値段、労働者の待遇のバランスを取っていかないと、いつか限界が訪れるような気がします。
いえ、すでに限界という業種や企業も少なくないのかもしれません。「もっと良いモノを、もっと安く、もっと便利に」を追求すれば、労働者にしわ寄せがくるのは当たり前ですよね。
日本では良いモノを安く買う人が「賢い消費者」と思われがちですが、本当に賢い消費者とは、いたずらに「もっと安く」を求めるのではなく、モノやサービスの質を見極め、良いモノには正当なコストを負担しようとする人のことではないかと思います。
多少モノやサービスの値段が上がったとしても、それが労働者の給与に反映され、市場に還元されれば、長い目で見ると社会のプラスになるのではないでしょうか。
おわりに
これまであまり考えたことはありませんでしたが、クロネコヤマトのニュースを見て、便利なサービスを支える人たちが裏でどんな風に働いているのか、想像をめぐらせる必要があると思いました。
日本はサービスを受ける側の権利がとても強い社会ですが、自分の利益ばかり追求するのではなく、見かねたときは「そんなに頑張らなくていいよ。ほどほどでいいじゃない。」といえる消費者になりたいですね。