ポーランドを訪れた際、負の遺産・アウシュビッツ強制収容所に行ってきました。
「アウシュビッツ」は、ナチス・ドイツによるホロコーストの舞台となった場所として、あまりにも有名。
ナチス・ドイツが集団殺戮を行った場所はほかにも多数あるのですが、ポーランドにあるアウシュビッツ強制収容所は大規模でかつ、当時の状況がうかがえる形として現存しているため、世界中から毎年200万人が訪れるスポットとなっています。
負の世界遺産・アウシュビッツ
一般に「アウシュビッツ」と呼ばれるのはアウシュビッツ強制収容所(アウシュビッツⅠ)と2キロ離れたビルケナウ(アウシュビッツⅡ)のことで、両者あわせて「アウシュビッツ・ビルケナウ ナチス・ドイツの強制絶滅収容所」として世界遺産(負の遺産)に登録されています。
アウシュビッツがあるのはポーランド南部のオシフィエンチムという小さな街。古都クラクフから54キロのところにあるため、クラクフから日帰りで訪れるのが一般的です。
私の友人でも「アウシュビッツに行きたいから絶対ポーランドに行く」という声があるほど、戦後70年たった今も変わらず注目されるアウシュビッツ。実際に訪れてみてどうだったのか、私の感想をシェアしたいと思います。
同じ過ちは二度と繰り返してはならない
これはアウシュビッツを訪れた人全員が抱く感想ではないでしょうか。まがりなりにも民主主義であった文明国家ドイツが、国策としてひとつの民族の抹殺を企てる…この経緯を考えると「当時は狂気の時代だったのだから特殊な例だよ」とは言い切れないところがあります。
他に類を見ない人道への罪・国家的犯罪の現場を目の当たりにすれば、「この惨劇を二度と繰り返してはならない」と誰もが胸に刻むはずです。
アウシュビッツに行ってもホロコーストはわからない
アウシュビッツはナチス・ドイツが行ったユダヤ人の抹殺政策、「ホロコースト」の代名詞的存在ですが、ナチス・ドイツの絶滅収容所は実はアウシュビッツだけではありません。アウシュビッツ以外にも絶滅収容所があり、犠牲者の数で見るとアウシュビッツ以外で亡くなった人のほうが多いのです。
アウシュビッツだけがこれほど有名なのは、ナチスの絶滅収容所としては最大規模のものだったこと、そして何よりも現存していることが理由です。アウシュビッツも一部は証拠隠滅のためナチスの手により破壊され廃墟と化しているものの、依然として大部分が当時のまま残っており、当時何が行われていたのかを知るための資料が揃っているのです。
一方、他の絶滅収容所は犯罪の痕跡を消すためにナチスにより破壊されており、建物も当時の様子を知るための資料も残っていないため、アウシュビッツ以外の絶滅収容所の存在が一般的にはあまり知られていないのです。
また、「ホロコースト=絶滅収容所」というわけでもありません。ワルシャワやクラクフをはじめ各地につくられたゲットー(ユダヤ人の強制居住区)の劣悪な環境で命を落とした人も多いですし、村じゅうのユダヤ人を銃殺するといった蛮行も各地で行われており、アウシュビッツはあくまでもホロコーストの一部であることを心に留めておく必要があります。
ここで私が言いたいのは、「アウシュビッツに行っても意味がない」ということではありません。アウシュビッツを訪れただけでその全貌が理解できるほどホロコーストは単純なものではなく、アウシュビッツに行っただけでホロコーストを「わかった」ような気になるべきではないということです。
しかしアウシュビッツを訪れることは「もっと知りたい」という意欲をかき立てられるきっかけになりますし、何より貴重な現場を前にその過ちの途方もない大きさを感じることができます。
せっかくアウシュビッツに行くなら事前に何冊か関連書籍を読み、さらにクラクフにあるシンドラーの工場やユダヤ博物館といった関連施設も訪れることをおすすめします。シンドラーの工場は当時の時代の雰囲気やユダヤ人の苦難が体感的にわかる見事な展示で、非常に見ごたえがありました。
イスラエル人(ユダヤ人)の民族主義への違和感
アウシュビッツではお揃いのTシャツを着て、イスラエルの国旗を高々と掲げるグループを見かけました。ダーリン曰く、「アウシュビッツに行った人全員からその話を聞いた」とのことなので、おそらく毎日のようにそういうグループが来ているのだと思います。
私には彼らがどういう思いでアウシュビッツでそういったパフォーマンスをしているのかがまったくわかりませんでした。民族絶滅の危機に瀕した歴史をもつ人たちの感覚なんて他民族にはそう簡単にわかるものではありませんよね。
「犠牲になった同胞を弔いたい」「民族の誇りを示したい」という気持ちがあるのは自然なことでしょう。しかし、そこでイスラエルという特定の国家の国旗を掲げる必要があるのか、そしてそれをグループで行う必要があるのかどうか、どうも違和感を拭うことができませんでした。
アウシュビッツでパフォーマンスを行うイスラエル人の姿は、民族主義・国家主義を思い起こさせました。民族の誇り、愛国心はそれが適度なものであれば健全ですが、度を超すときわめて危険であることはホロコーストの犠牲になったユダヤ人たちが一番よくわかっているはずなのですが…
被害者であるユダヤ人が加害者になるのはなぜなのか
ホロコーストが明るみに出たことで戦後の国際社会はユダヤ人にきわめて同情的になったことが手伝って、1948年、イスラエルが建国されました。
ホロコーストだけでなく、紀元前にさかのぼるバビロン捕囚など、民族の受難を乗り越えてきたユダヤ人…しかしパレスチナ問題においては、ユダヤ人は「加害者」です。
イスラエル人全員がユダヤ人というわけではないし、パレスチナ問題は過去のイギリスの三枚舌外交に大きな原因があるので、ユダヤ人やイスラエルだけを責めることはできません。
しかし、イスラエル建国のためその土地からパレスチナの人々が追い出され、イスラエル軍によるパレスチナ住民の虐殺行為も行われました。さらにひとだび衝突が起きると軍事力でまったく比較にならないパレスチナを空爆し多数の民間人を殺戮するなど、イスラエルのやり方は度を超えています。
ついに民族悲願の建国を成し遂げたものの、周囲を敵国に囲まれているというのはイスラエルにとって難しい状況であるのは間違いありません。過去に抹殺の危機に瀕したからこそ、強い防衛本能が働き攻撃的になるという側面もあるでしょうから同情の余地もあります。
でも、だからといって過去に自分たちが傷つけられたから、他の人々を傷つけてもいいということにはならないはずです。
被害者であるユダヤ人だからこそ発信できる平和へのメッセージがあるのではないかと思うと、今の状況は本当にやりきれません。
おわりに
このように、アウシュビッツを訪れると何らかの形で後味の悪いものが残るし、新たな疑問が浮かんできます。
二度と繰り返してはならない重い歴史があるにもかかわらず、人類は過去の教訓を十分に生かしているとはいえません。今も世界では侵略が行われており国際社会はなかば黙認しているのです。
たとえばチベット問題。漢民族が多数入植したチベットではもはやチベット人は少数派となっていて、中国はチベットの地に勝手に鉄道を建設したり核実験まで行うなど、環境破壊も深刻です。
私は「リトル・ラサ」と呼ばれるインドのダラムサラに行ったときにそういった現状を知りましたが、日本ではチベット問題はもはやほとんど報道されておらず、国際社会から忘れ去られた存在になっています。
このような現実を見ると、「過去の惨劇を二度と繰り返してはいけない、今は平和で良かったね。」― そんな感想で済むほど人類社会は進歩していないし、平和でもないのが現状なのです。
今こそ、決して忘れてはいけない過去の過ちに再び目を向けるべきではないでしょうか。
人間世界の暗部に直面することは気持ちのいいものではありませんが、一生に一度はアウシュビッツを訪れることができてよかったと思っています。