こんにちは、はるぼぼ(@harubobo_nikki)です。現在マレーシアのイポーという街にいます。
旅しても「自分」なんて見つからない
昔から「自分探しの旅」という表現がしばしば使われますね。ところが、これまで40ヵ国ほどを旅してきた私の実感では、「旅しても自分なんて見つからない」です。
「インドを旅すれば悟りが開けるかも」と期待してインドを旅したところで、インドの道端に「本当の自分」が転がっているなんてことはまずありえません。「自分」なんてものは、旅に出たくらいで簡単に見つかるものではないし、旅にそんな神通力はありません。
旅は自分の価値観をクリアにしてくれる
ただし、私が「自分探しの旅」をまったく意味がないとか、間違っていると思っているかというと、実はそんなことはありません。旅をして普段と違う環境に身を置くことで、自分の価値観がクリアになりやすいからです。
たとえば、私は今回の旅でドイツからシンガポールに飛び、シンガポールに滞在した後マレーシアに来ました。個人的な好みでいえば、私はシンガポールよりもマレーシアのほうが好きだし居心地がいいと感じます。
シンガポールもマレーシアも今回で3度目なので、前からだいたいわかってはいたものの、今回の旅で改めて自分の好みを再確認しているところです。
旅で感じる「好き嫌い」は自分の価値観の表れ
旅をしていると、誰もが「この場所は好きだ」あるいは「あまり好きじゃない」、「ここは居心地がいい」あるいは「居心地が良くない」など、好き嫌いに関する何らかの感想を抱くはずです。そこに自分の価値観が隠れているのです。
さきほど私はシンガポールよりもマレーシアが好きだと言いましたが、それは、マレーシアのほうが人があたたかくてフレンドリーだと感じるからです。また、クアラルンプールはかなり近代化されつつあるものの、アジア的な体温や泥臭さが失われておらず、その垢ぬけなさに心地よさを覚えるのです。
一方のシンガポールは、清潔でインフラも整備されていてとても快適ではあるのですが、そのぶん温もりが感じられず、街には巨大なショッピングモールが乱立し、物質主義に走りすぎているように感じます。
もちろんこれは私の感想であり、シンガポールのほうが快適で好きだという人だっているでしょう。そこが人それぞれの価値観の違いで、万人にとっての「正解」はありません。
旅をしていると、自分が好きな環境、自分にとって心地よい環境がわかるようになってきて、以前よりも自分のことがよくわかるようになるのです。
旅すると自分の譲れない価値観が見えやすい
旅をしていると価値観がクリアになるのは、普段とまったく違う環境に身を置き、両極端な経験をすることが増えるので、比較がしやすいためです。いつも同じ環境に身を置き、同じような景色を見て、同じような人と会って、同じようなものを食べていると、予定調和ができてしまいます。でも、旅先では違います。
そんななかで、「自分って意外とこんなことが好きなのか」とか、「自分ってこれが苦手なんだ」と、自分という人間の輪郭が少しずつ見えてくるような気がするのです。私は案外旅先で出会った人との人間臭い触れ合いや、歴史・文化を感じる場所が好きで、反対に物質主義や近代的すぎる街は苦手です。
さらに、どのくらい、あるいはどこに(宿、食費、買い物など)お金をかけるのかなど、旅のスタイルにも自分の価値観が表れます。
必ずしも旅をしなくても、どんどん新しい人と会ったり、いつもと違う場所に出かけたり、色々な本を読んだりしながら、自分の反応に対するアンテナを立てていれば、似たような効果が得られるはずです。
でも、旅をすれば短期間で普段と違う新鮮な体験がたくさんできるので、「自分にとって譲れない価値観」が見つけやすくなります。それが「自分探しの旅」などと言われるゆえんなのでしょう。
ただし、「自分」というものは、どこかにポンと転がっているようなものではなくって、みずから自分の好き嫌いを探りながら形づくっていくものだと感じます。
旅とは新しい世界と出会う経験であると同時に、自分の意外な一面と出会う経験でもあるのかもしれません。