ドイツ、そしてダーリンと離れることになって考えた2つのこと

こんにちは、はるぼぼ(@harubobo_nikki)です。

先日、「ドイツに滞在できなくなりそうなので、アジアと日本でノマドします」でビザの問題でこのままドイツに滞在できなくなる可能性が高いため、しばらくドイツを離れることにしたことをお伝えしました。今回はそんな状況になって私が考えたことをお話したいと思います。

ドイツで暮らすことに対する姿勢が問われている

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寒くてどんよりとした冬のドイツを離れ、自分にとって居心地のよいアジアでおいしいものを食べながら過ごす…ノマドワークという初めての経験ができることもあって、この機会を楽しみにしている自分がいます。

一方で、数ヵ月間ダーリンと離れなければならないことをとても寂しく感じている自分もいます。相反する感情があって心境は複雑です。

手続き関係のこととなるとドイツという国が心底嫌になることがあるので、こういう状況になって「こんな国離れられてせいせいする」と思ったこともあります。そのとき、ふと「自分の心のどこかにドイツにいたくないという気持ちがあるからそれが叶ってしまったのでは」という考えが頭をよぎりました。

私のように国際恋愛をしてパートナ―と一緒にいるために相手の国に移住した方のなかには、その国が特別好きではない人が少なくないと思います。

私の場合、ドイツは特に好きでも嫌いでもありません。旅行するぶんにはいいところだと思いますし、浅からぬ縁をもつことになった国なのでそれなりの愛着はありますが、こういう形で関わることになったからこそわかる負の面も見えているからです。

好き嫌いというのは相性や感覚の問題が大きくて、好きになろうと努力したからといって必ずしも好きになれるわけではありません。

とはいっても、ドイツの好きなところや、ドイツで生活する良さを見つける努力はもっとできたのではないかと思うのです。もちろん、ドイツ生活のポジティブな面を見つけようとしていたつもりではありますが、まだまだ足りなかったような気がしています。

今回いざドイツを離れることになって、ドイツで暮らすことに対する自分の姿勢が改めて問われている気がしました。今回の「ドイツからの休憩」を機に、もっと素直な心で改めてドイツと向き合ってみたいと思います。

最愛のパートナーと一緒にいられる限りある時間の尊さ

two-heartsもう一つはダーリンとの関係性。私が11月半ばからしばらくドイツを離れることになって、お互いに「残りの時間」を意識するようになりました。そしてお互いに、相手の存在の大きさを改めて実感しています。そういうのって、口にしなくてもわかるんですよね。

今回11月半ばから数ヵ月離ればなれになるという具体的な期限が設けられたので、「限りある時間」を意識するようになりましたが、そんなものはなくても、そもそも私たちの人生は限られた命の時間。大切な人と一緒にいられる時間は限られているのです。

だから、本来はこんな状況にならなくても、常にそれを意識して一日一日を大切に生きていきたいんですよね。

でもびっくりするほど幸せな状況だって、やっぱり時間が経つと慣れてしまうみたいです。「慣れ」というのは人間の本能で、それがあるから辛いことも乗り越えられるのだと思うのですが、過去に辛い結婚生活を経験したからこそ、今の幸せに慣れてしまうことなく、いつも新鮮な気持ちで感動して感謝していたいです。

最高のパートナーだと思える相手に出逢えて、その人とともに人生を歩む、その尊さはどんなときも忘れたくありません

だからこの一件には、このことを思い出させてくれたという点でとても感謝しています。

おわりに

ダーリンと離れることは寂しいし、何より置いていかれるダーリンのほうが寂しいと思うので、それを考えると悲しいのですが、日ごろいつも「日本に帰りたい」と言っているダーリンが、大好きな日本で数ヵ月ぶりに私と再会するとき、どんなに嬉しそうな顔をしてやってくるか考えると楽しみです。

離ればなれになる数ヵ月を、二人の関係やドイツでの生活をより良くするための「投資」になるようにしたいと思います。

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