もうすぐ8カ月ぶりに日本に一時帰国するはるぼぼ(@harubobo_nikki)です。
私は2015年6月に日本を離れ、アジア横断の旅を経て、2015年11月にドイツに移住しました。そんな私がいま抱いている祖国・日本への思いについて。
日本から出ていきたくてしょうがなかった時期
ダーリンと出会う前、私は日本という国に対して強烈な違和感を抱いていました。周囲に合わせなければならない文化、多様性の欠如、物質主義…といった日本社会に対して生きづらさを感じていました。また世界一の高齢社会、莫大な国の借金という面からも日本で生きていくことに対し、希望を見いだせなくなってもいました。
会社員時代、連休のたびに海外に出かけては、世界の多様性や新興国の活気といったものを目にしていたので、日本のネガティブな面が目についていたのだと思います。しだいに、「一日も早く日本を出たい。そしてもっともっと世界を見たい」という欲求を強めていきました。
そんな私が計画していたのが世界一周。そして世界一周後はマレーシアあたりに移住することを考えていました。「一年ほどかけて見たい国を全部見てやろう。」という気でおり、スタートの時期も定め、訪問予定国や都市もリストアップして具体的な計画を進めていました。
ところが、当時勤めていた会社で突然の部署異動の辞令を受け、退職前に新しい仕事をもうしばらくやってみたくなったのです。「辞めるのはいつでもできる」と思い、退社時期を延期することにしました。
ドイツ人のダーリンとの出会い、日本の良さを見直す
当時所属していた部署は有給取得に関して寛容な部署でした。新しい部署がどの程度休暇に寛容かわからなかったので、「今のうちに」と異動事例が出た直後にぶらり旅に出かけたのです。
行き先は色々と検討したのですが、最終的に選んだのは長野。そしてその長野でダーリンとの出会いが待っていたのです。
(詳しくは、「運命の一日、19歳のドイツ人ダーリンと恋に落ちた日」にて)
ダーリンと恋に落ち、ドイツへの移住が決まったので、世界一周ではなく、日本~ドイツ間の世界半周に計画を変更しました。一度に世界一周しなくても、ドイツに住んでいればドイツから旅ができると考えたからです。
ダーリンと出会って以来、一緒に神社やお寺に行ったり、日本的なものに触れる機会が多くなりました。日本に興味があるダーリンの新鮮な視点を交えて、私も日本を再発見することになったのです。
すると、他者に気を配る精神性、豊かな歴史や伝統文化、優美な風景といった、自分のなかで日本のいいところがクローズアップされるようになっていきました。ダーリンと出会ってから日本を離れるまでの10カ月のあいだで、私は日本が好きになり、離れがたい気持ちを抱くようになったのです。
もちろん、その間に日本そのものが変わったわけではありません。でも、私が嫌いだった周囲に合わせる文化などといったものは、必ずしも従わなければならないものではなく、それを超越して生きることもできると気づいたのです。
日本でも自由な生き方をしている人はたくさんいます。私自身が日本の「普通」や「常識」にとらわれていたからこそ、社会の規範に自分を押し込めようとして窮屈に感じてしまっていたのだと思います。
完璧な人がいないのと同じで完璧な国もありません。でも、ポジティブな面とネガティブな面、どちらにフォーカスするかによって、見方が180度変わることもあるのです。
ドイツに移住し、離れて想う日本
アジアを旅しているあいだも、ドイツに移住してからも、祖国・日本は常に私のなかにあります。
具体的に日本のことを考えることも頻繁にありますし、そうでない瞬間も常に意識のベースにあります。「私は日本で生まれ育った日本人だ」という感覚を意識的・無意識的に常にもっているのです。
現在ドイツで暮らす私にとって、日本は祖国であると同時にある意味、「憧れの国」でもあります。食べ物がおいしくて、心を打つ美しい風景の数々があって、サービスが良くて、治安が良くて、他者に気を配る精神性があって、かわいいものがたくさんある国。
その国は自分が生まれ育った祖国なのに、ドイツから見ればはるか極東にあって簡単に手が届く場所ではないのです。
もちろんドイツにもいいところはあるし、日本に欠点や問題があるのは事実なので、手放しで日本を礼賛するつもりはまったくありません。ドイツを見て「日本もこうだったらいいのに。」と思うこともあります。
でも、私にとって祖国を愛することができるのは、自分のアイデンティティを肯定できるような感覚であり、とても幸せなことなのです。一時期は嫌でしょうがなかった日本に帰ることを心待ちにできるのは嬉しいことなのです。
日本を長期間離れることがなければ、日本に対してこれほど特別な感情を抱くことはなかったでしょう。
ドイツで暮らすことは日本の美しさを再確認できる機会であると同時に、ドイツのいいところに学び、日本を批判的に見る目を養う機会でもあると感じています。