誰にも他人を批判する権利はない!「こうあるべき」から自分を解放しよう

こんにちは、はるぼぼ(@harubobo_nikki)です。
こうやってインターネットでオープンに情報発信していると、「世の中には批判したがる人が多い」ということを実感します。

もちろんこのブログにしても、応援してくれる方の方が多く、批判をしてくる人はごく一部です。
ちなみにここでいう「批判」とは具体的な根拠に基づくまっとうな批判ではなく、思い込みや決めつけに基づいた非建設的な批判(言いがかりに近い)のことです。

ネットという相手の姿が見えない匿名の環境では、実社会に比べて日頃の鬱憤を晴らすかのように他人を批判したがる人を目にする機会が多いです。
実社会では自分の意見を押し込めて周囲に同調することが多い日本では、余計にその反動が大きいのかもしれませんね。

 

批判に遭遇して思うこと

一部の「批判したがり」な人は思い込みや決めつけが激しく、「自分が正しいと信じていること」と違うことをする人や言う人を目にすると攻撃的になる傾向があります。

そんな人物に遭遇したときに自分に言い聞かせるのは「誰にも赤の他人の生き方や考えを批判する権利はない」ということです。

相手から何らかの迷惑を被ったのなら話は別ですし、政治家などその人の決定が多くの人に影響を与える場合も「おかしい」と思ったら大いに批判すべきでしょう。
その人の考えや行動が公序良俗に反しているとか、他人に迷惑をかけているという場合も、批判されて当然といえます。

ですが、公序良俗に反しておらず、他人に迷惑もかけていない他人の生き方や考えを「自分と違う」という理由だけで断罪する権利は誰にもありません。

 

自分の考えは、「自分が正しいと信じていること」

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人間誰しも自分自身の感情や考えしか直接感じることができないので、「自分の考えが正しい」と思い込んでしまいがちです。
だからこそ、「自分の考えや価値観はあくまでも自分が正しいと信じていることであって、絶対的なものではない」ということを常に念頭に置いておく必要があります

「批判したがり」な人にはそういう視点が欠けています。
だからそういう人は私にとってある意味ではよき反面教師。
そんな人に出会ったら、「自分は安易に他人の選択や考えを評価していないだろうか」と自分自身に問いかけます

私の場合、「相手にとってプラスになる」と考えない限り、直接相手に言うことはありませんが、「(赤の他人について)父親ほど年の離れた人と結婚するなんて理解できない」なんてことを家族の前で言ったことがあります。

反面教師に出会ってから自分の言動を振り返ると、直接相手に言っていないにしても、自分の感覚を基準に他人をとやかく言ったことを反省しました。
そんなの当人同士がよければいいことで、家族ならともかく他人の私がどうこう批評するようなことではありません。

ガチガチの「こうあるべき」から自分を解放する

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最近では、「自分が正しいと信じていること」を減らせばもっと楽になれるのではないかと思います。

信念をもつことは大切ですが、「こうあるべき」とか「こうでないと」という思考に縛られ過ぎてしまうと視野が狭くなりますし、それと違う現実を目にしたときにストレスを感じてしまいます

数学の問題ならともかく、人間社会において「絶対的にこっちが正しい」といえることのほうが少ないのではないかと思います。

だから自分にとって本当に大切なもの以外、「こうあるべき」とガチガチに考えるのは捨てて、「私ならこっちを選ぶけど、確かにそれもありだよね」とゆるく受け止めてみればいいのではないでしょうか。

私自身、日本で会社員をしていた頃は、「働く」=「会社に雇われる」でそれ以外の道は考えもしませんでしたが、今はフリーランスとして働く道を模索中です。

数年前までは考えられな かった大転換が成り行きで起こりました。
自分の価値観とか生き方って、案外環境とかちょっとしたきっかけで大きく変わることもあるんですよね。

「こうあるべき」から自分を解放すれば、気持ちが楽になるだけでなく、新たな人生の可能性が開けてくるのかもしれません

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