「ドイツ人とイタリア人は全然違う」日本人とドイツ人が共感しあった話

日本ではなぜか「日本人とドイツ人は似てる」なんて言われることが多いですが、実際には違うところのほうが多いです。9000キロも離れた東アジアとヨーロッパの国なのだから、違いが多くて当たり前ですよね。

とはいえ、そこに第3国の人が入ってくることで、「自分たちはちょっと似てるかも」と感じられることがあります。今回は、自由すぎるイタリア人を前にして、日本人とドイツ人が共感しあったエピソードをご紹介します。

イタリア人旅行関係者のランチに同席

ドイツ・ロマンティック街道のネルトリンゲンという町のイベントに参加したときのことです。その日はネルトリンゲン観光局の担当者(ドイツ人)とのランチがあったのですが、イタリア人のグループも同時にやってくるということで、私も彼らと一緒にランチをすることに

イタリア人グループはどうやら旅行会社社員など、旅行業界の関係者のようで、ドイツの見どころを回るツアーに招待されていました。ネルトリンゲンの担当者から聞かされて私が驚いたほど、彼らのスケジュールはタイト!ネルトリンゲンでの観光時間は実質一時間ほどしかなかったと記憶しています。

ハイテンションなイタリア人ご一行様

その日は、リニューアルオープンしたばかりのホテルの視察を兼ねて、ホテルでの昼食会でした。しかし、来るはずの時間になってもなかなかイタリア人グループは来ず、私とネルトリンゲンの担当者はしばし待ちぼうけ・・・

ようやく現れたと思ったら、イタリア人ご一行様は、そこがドイツであることを忘れそうなほどのハイテンション

10人ほどのイタリア人に、日本人(私)とドイツ人(ネルトリンゲンの担当者)が一人ずつでは多勢に無勢。世界中どこに行っても、場の雰囲気をイタリアに変えてしまうイタリア人のエネルギーに圧倒されていました

食後にはコーヒーが必要なんだ!

かなりタイトなスケジュールでドイツの視察をしていたイタリア人グループ。当然のことながら、ランチに割ける時間も限られています。

できるだけ時間を有効に使えるよう、まずは料理の注文を済ませ、料理が作られているあいだに館内を視察。料理の用意ができたら食事開始という流れになりました。

しかし、食事が終わると、イタリア人グループの一人が「コーヒーが飲みたい」と言い出します。

ネルトリンゲンの担当者は困った顔で、「ごめんなさい。時間がありませんから。」とやんわり拒絶。それでも、ほかのイタリア人も口々に「コーヒーぐらい飲ませてくれ」「コーヒーなんてすぐに飲めるじゃないか」と、引き下がりません。イタリア人のコーヒーへの情熱、恐るべし・・・

結局、ネルトリンゲンの担当者が「本当に時間がないので、すみません。」となだめ、彼らはコーヒーが飲めないままその場を去り、市内視察に繰り出しました。

日本人とドイツ人が共感

イタリア人グループが立ち去った後、私とネルトリンゲンの担当者は、「彼らの言動には異文化を感じましたね。」と共感

私が、「日本人は、普通このような場で自分からコーヒーが飲みたいとは言い出しません。」と言ったら、ネルトリンゲンの担当者も「ドイツ人も普通はそうです。ドイツ人とイタリア人は全然違う。ドイツ人と日本人のほうが似ている部分があるかもしれません。」と。

日本人は、仕事中、しかも招待されている(自分がお金を払うわけではない)立場で、自分から「コーヒーが飲みたい」とはなかなか言えませんよね。招待してくださっている側に、「食後のコーヒーはいかがですか?」と聞かれても、ほかに注文しそうな人がいなければ遠慮してしまいそうです。

ただでさえそうなのだから、時間がないとわかっているときに「コーヒーが飲みたい」などと言い出す人はいないでしょう。万が一いたとしても、「時間がないからごめんなさい。」と断られ、なお口々に反論する日本人グループというのはちょっと想像できません(笑)

イタリア人に対するアンビバレントな感情

家族や気心の知れた友人が相手ならともかく、オフィシャルな場などでは、私たち日本人はなかなか「自分がどうしたいか」だけでその場の行動を決めることはありません

それは、ドイツ人にも共通する部分があって、日本人ほどではないにしても、ドイツ人もその場の状況を考え、ある程度は「空気を読む」ということをします

そんなドイツ人のイタリア人に対する感情は、ちょっと複雑です。憧れややっかみ、そしてほんの少し軽んじるような気持ちが混じり合っていることも

もちろんドイツ人全員がそうというわけではありませんが、「イタリア人はあまり働かないのに、なぜあんなに楽しそうで幸せなんだ!」と思っているふしがあるのです。(ただし、OECDの統計で見ればイタリア人はドイツ人よりも、さらには日本人よりも労働時間が長いというのが実態です。)

いずれにせよ、ドイツ人が自律的で生産性が高い傾向にあるのは確か。なのに、イタリア人は「そんなのどこ吹く風」とばかり、とにかく今この瞬間をハッピーに生きているように見えます。

自由で享楽的で、いつも楽しそうな(少なくともそう見える)イタリア人。もちろん彼らには彼らなりの苦労や悩みがあるのでしょうが、外から見ているぶんにはそれを感じさせないので、ドイツ人からすれば「真面目に生きている自分たちが損」みたいな気持ちになるのかもしれません

羨ましくても真似はできない

それは、日本人にとっても同じではないでしょうか。「空気を読む」ことなどせず、自分のやりたいことを主張する。ついつい周囲に合わせようとしてしまう日本人から見れば、イタリア人の振る舞いは羨ましい限りです

私自身、「コーヒーが飲みたい」と強硬に主張するイタリア人グループを見て、「なんて自分勝手なんだ!」とは思いませんでした。驚きはしましたが、必ずしもネガティブな意味での驚きではなく、すがすがしささえ感じたほどです。

とはいえ、いくら羨ましいからといって、普通の日本人にはなかなか彼らの真似はできません。空気を読まないことに自分自身が居心地の悪さを覚える人も多いでしょうし、そうでなかったとしても、日本では周囲がそういった振る舞いを許さないことも多々あります。

おそらく、ドイツ人もイタリア人の生き方を羨む気持ちはあっても、真似はできないことはわかっているので複雑な気持ちになるのでしょう。

日本はイタリアから遠く離れているので、憧れはしても嫉妬することはほとんどありませんが、ドイツはイタリアの隣国。「なまじ距離が近いのにこうも違う」ということで、日本人以上に相反する感情が生まれやすいのだと思います

おわりに

ネルトリンゲンでのこの経験は、イタリア人グループに対するカルチャーショックをドイツ人と共有できたという点でとても興味深いものでした。

実際のところ、日本で「日本(人)とドイツ(人)は似ている」といわれるほど両者は似ていないと思いますが、共通点もあるのは確か。イタリア人グループを前にすることで、その共通点が浮き彫りになった例でした。